高ヶ坂石器時代遺跡|国指定史跡

高ヶ坂石器時代遺跡

高ヶ坂石器時代遺跡について

高ヶ坂石器時代遺跡は牢場遺跡、稲荷山遺跡、八幡平遺跡の3つの遺跡から構成されます。大正14年(1925年)10月、牢場遺跡の調査が実施され、石が敷き詰められた遺構が確認されました。この遺構は炉を伴うことから居住跡(敷石住居跡)と考えられました。牢場遺跡に隣接する稲荷山遺跡では、土器片・石が露出している状況が確認されたため、牢場遺跡の調査に引き続き調査を実施し、石がまとまって確認されました(配石遺構)。また、住民からの報告により八幡平遺跡の調査も実施され、石を敷き詰め炉を伴う遺構(敷石住居跡)が確認されました。

発見された敷石住居とは床面の一部または全面に石を敷き詰めた住居です。縄文時代中期から後期にかけて東北地方南部から関東・中部地方にみられ、一般的な住居とする説、祭祀に関する特殊な建物とする説があります。

縄文時代の住居構造の研究は高ヶ坂石器時代遺跡で敷石住居跡が調査された大正時代後半から盛んになります。当時の研究は貝塚の調査を中心とするもので、丘陵地における高ヶ坂石器時代遺跡の発見は、貴重な事例をなりました。遺跡は現地で保存されることとなり、牢場遺跡には上屋がかけられ見学できるようになりました。稲荷山遺跡と八幡平遺跡は埋め戻されました。そして大正15年2月24日、高ヶ坂石器時代遺跡は敷石住居跡の発見第一号として国の史跡に指定されました。

指定から年月が過ぎ、埋め戻された稲荷山遺跡・八幡平遺跡の正確な位置は不明確となり、見学できる牢場遺跡の上屋も老朽化が著しくなってきました。そこで遺構の再調査等を行い、その成果をもとに遺跡の再整備を実施しました。牢場遺跡については発見当時のまま、本物の遺構を見ることができます。稲荷山遺跡・八幡平遺跡は埋め戻した上に石を使って遺構を再現しました。

稲荷平遺跡(配石遺構)

稲荷平遺跡(配石遺構)について

大正14年(1925年)の調査では6.67m×4.23mの範囲に石が敷き詰められているのが確認されました。遺構に伴い土器片多数、磨製石斧1点、打製石斧2点、敲石1点が出土しました。これらの遺物は帝室博物館(現東京国立博物館)に収蔵されましたが、現在では所在が不明になっています。2014年に再調査を実施し、大正時代に調査した遺構を再確認しました。ただし隣接する道路で一部遺構が消失していました。遺構が住居かどうか確認するため柱跡や炉跡を調べましたが確認できませんでした。また周辺から縄文時代後期・晩期の遺物が出土しました。
発見された遺構は保護のため埋め戻されています。現在は石を使って遺構を再現したものを見ることができます。

【八幡平遺跡について】

現在整備中のため見学はできません。

所在地 東京都町田市高ヶ坂2丁目2
引用・参考 町田市教育委員会 案内板(2017年3月設置)
掲載日 2017年10月
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